講習での話。確か床材のキズを補修する内容であったと思う(殆どその講習で学んだ技術を使う事はなかったが)。強烈だったのはむしろこちらの話であった。「木」という文字は数字の「十」と「八」を組み合わせて出来た文字である話だ。実際、自分も所属している木材の青年組織では昭和52年から十月八日を「木の日」としており、この時期には全国で様々な木材関連のイベントが多い。

この講師曰く「苗木を植えて実際に木と呼べるには大体十八年、木を二つ並べて林になるには倍の三十六年、三つ並べた森になるには五十四年かかる」という話だったと思う。

この話は森林になるにはというサイクルを非常に良く示している。植栽や手入れの条件は違えど40年以下の山林に入ると、木も十分に育っておらず、径級(太さ)も木の長さもイマイチ。まだまだ、という印象を受ける。やはり50年位超えてこないと、山林として一人前、という感じがしない。人に当てはめると20年位で小中学生、40年で大学、50年超えてやっと大人という印象か。

自分は福岡の郊外住まいで管理している山林もその周辺だが、一度、和歌山の有名な篤林家の山林を案内頂いた。山林の林齢を聞かれ50年位でしょうか?と答えると70年と言われた。やはり南の方が育ちが早いので感覚が全然違う。その分年輪の細かい材料が取れる。

さて、「森」の語源は「守り」すなわち守る対象と言われている。要は切ったらいけない、対して「林」は「生やす」植えて、育てて、切って使う事を前提としている。一般的な定義で言えば「森」が天然林、「林」が人工林となってしまう。平成29年の九州北部豪雨水害の際に、被害の大きかった東峰村で山林の啓発活動のイベントを行った。山林が余りに悪くメディアに扱われたことで、地元のケーブルテレビと一緒に山林の実情を訴えたかったのだが(この話は又別で)。被害状況のフィールドワークの時にある年配の方から「村内でも昔方ここは切って良い、悪いという山林がある」という話を聞いた。水源涵養や土砂災害を防ぐための「森」、資材や燃料としての資源を取るための「林」、昔の人はそうやって「森/林」を住み分けて持続的に山林を使ってきたのだろう。

勿論、伐採するかしないかは山林を保有している人が最終的に判断を下す。ただ、上記の話を見ていると、「森林」の文字の持つ本当の意味を理解している人がどの程度いるのは甚だ心細くなる。