平成29年7月に先祖代々の山が被災した。曽祖父が植林した山で遺言書にも「他人に渡さないように」という書付が残っていた。山である。
実際に山に入れたのは手前の公道の復旧が終わっての事で確かお盆前の暑い時期だった。林道も地元に数軒残っている生活道路を兼ねている林道である。舗装などはされていないが、手前の2か所で大きく山が崩れており、車を置いて、よじ登って辿り着いた。地元の生活や命を失った艱難辛苦に比べれば大げさなものではないが、近くに流れる川の何倍も川幅が拡がった後、下流のダムを埋め尽くすように浮かぶ無数の丸太の量に言葉を失ったものである。川沿いの山林の若干の崩落と手前の林道以外はそこまで目に見える被害が無かった。それまでは山林があっても工事や伐採の打ち合わせが無い限り殆ど行くことはなかった。
父は勤めであったので高校までは千葉にいたが、小学生時、長期休みに帰省すると必ず山林に連れ出されたものである。山林の境界や枝打ちの重要性などを何度も言われたと思う。運動神経は余り無く、インドア派で日頃はマンション暮らしの子どもであったが、この時のお陰か山歩きだけは今でも然程苦にならない。その頃の祖父の言葉で「(お前たちが)大きくなったらいい値で売れるぞ」が口癖であったが、残念ながらその点は外れた。相場は昭和52年~55年がピークで徐々に下落していった。この時期が木材業界としても最も勢いのあった時代だったのだろう。材価に対して人件費がまだまだ安かった時代である。大卒初任給が10万円かそこらで、丸太1本9000円とか17,000円もした時代である。山に人を入れて、手間をかけて良材を出して十分に元を取れた。今でもこの時代の単価表が頭から離れない方もおられる。昔が良かったのか、異常だったのかは立ち位置の違いであるが、当時はまだ戦後植林した山林も20-30年程度で用材にならず、使える木材資源は限られる。住宅着工は旺盛と日本の経済成長と相まって非常に潤った時代だったようだ。少ない資源、人件費の安さ、強い需要と比較して現在の日本は、豊富な森林資源と人件費の向上、人口減での着工棟数の減少で完全に逆回転である。それでも国産の合板工場が増えたり、バイオマス発電、近年は円安含めた輸出などのお陰か、丸太価格は平成に入って長らく低迷していたがここ数年は少しづつ単価が上がってきている。ウッドショックで瞬間的に高値を付けてその余韻も多少はあるものの、木材需要の牽引役はなんやかんやで木造住宅に密接にリンクしている。木造住宅の落ち込みに比べると、相場の落ち方は弱い。
つらつらと書いてしまったが、業界に興味を持ってくれ、なおかつ県外から来た学生に何を話すかは難しい。東京での勤めを辞め、家業に帰ってきたときの会社や業界の懐古主義的な雰囲気の悪さや希望のなさは嫌いというか、苦手であった。一方で水害やSDGsで山林が以前より社会に関心を持って頂けるのは非常に有難い事である。どの業界でもいえる事であるが、状況に対する正しい認識が出来るのと、今までやってきたことを止め、新しい事に取り組むのは全く別の話である。不易流行と言えば事足りるかもしれないが、変化の益々早くなる昨今に安定を求める若者が時代とどうやって折り合いを付けて行くのだろうか?我々のやっているのは詰まるところ、人間の都合で植えて育てた資源を、需要に合わせてどう加工して供給するかに凝縮されてくる。建築やバイオマスと言っても江戸時代辺りと本質的には用途変更はない、そう考えた方が気楽でいいのかもしれない。