日が空いてしまいました。
11月は都城の霧島神宮に行ってきました。車で行ったのですが、割と高速降りてからが遠く、田舎の国道で走り易かったのですが、起伏がまあまあでした。神社の奥に「山神社」という少し小さめの社がありました。結構パワースポットのようでそこそこの人の出入りがありました。
昨日は、宇佐神宮でした。初のお参りで他の用件で北九州から回っていったのですが、便利な場所でした。
しかし霧島神宮が山の色がここかしこにあったのと比較すると、全然、山の色というか気配がない。古くは孝謙天皇の時に道鏡という僧が皇位を狙ったという逸話など宇佐神宮自体は古くから歴史の表舞台に立った逸話がある。また八幡信仰もこの宇佐神宮が発祥の地らしい。八幡信仰と言えば源義家が歴史で思い浮かぶが、京都や東北が舞台になるので、余り九州にゆかりがあるとは知らなかった。意外。
礼拝も通常の二礼二拍手一礼でな四礼とあり、他の参拝者の柏手の数が妙に多いので知ったレベル。理由は不明と、但書がありました。
これは山岳信仰に関しては収穫ゼロかな、とお参りを済ませ帰る途中に、気になる看板が。
「宇佐神宮奥宮 大元神社遥拝所」とあり「左手に見える山が、宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬城峰)です。宇佐神宮発祥の整地として摂社大元神社が鎮座し、現在でも毎月の祭祀が厳修されています」とあり、ちょうど山が見える窓のような形になっていた。別の説明を見ると、御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕になったといわれます。とあるので、最初はこの山の上にご降臨されたのだろう。
それは一目見ねばと、スマホで調べると車で行けそうな感じの表示である。社務所の方に聞くと、馬力のある車でないと、岩や枝が落ちているかもと言われ余りお薦めはし無さそうであった。時間も3時過ぎで少々雨が降っていたのも心配があったのだろう。ジャガーで移動してみたが、成る程、いわゆるスーパー林道である。ある程度の舗装はしてあるが、ガードレールなどはあったりなかったり。神社から車道であるが所々、広い場所はあっても基本的には1台しか通れない。
燃費の悪いジャガーで上ると結構な勢いでガソリンが減る、というか、4分の1を切っていたので少し後悔して登る。20分ほどいった所に少し車を止める場所と1.6キロ先大元神社、とあった。本来ならば歩くところだが、時刻は3時半過ぎで暗くておまけに冬至であったので、今度は早めの時間に出直そうと断念。足のケガが無かったら上ったかもであるが、そこも弱気になってしまった部分でもある。山の中で動けなくなるのは怖い。4月29日には毎年この大元神社でお祭りがあるようだ。その時でも良いかも。
そのまま林道も抜けられそうなので、進むと人家もあり10分足らずで近隣の県道に降りてこれた。此方の方が時間的には早かったろう。神社から真っすぐ来たのであるが、なまじ林道で随分周り道になってしまったがそれはそれで経験である。
ちょっと残念であったのでそのまま大分県の博物館に移動、1時間切っているので少し速足だったが充分、収穫あり。
そもそも宇佐神宮が神仏混合の初めての場所であったようである。九州で大陸にも近く、海運で畿内にもアクセスが良かったのだろう。道鏡の神託の確認に赴いた和気清麻呂も10日ほどの旅程だったそうだが、その多くは船旅だったのではないだろうか。物部氏と蘇我氏の対立で内戦迄発展した宗教戦争であったが、神仏習合でその問題を解決したのはいかにも日本的な手法に感じる。八幡大菩薩という、神の名前と、仏の位を併せ持つ名称などは秀逸といっていいかもしれない。大分も地域としては新幹線の恩恵などをまだ受けていないが、北九州からの陸続きと瀬戸内の海運で見方によっては随分と工業的なエリアともいえる。他の遺跡や仏教文化の遺構をみると随分、豊かで栄えた地域であったろう。豊の国、豊前、豊後という地域名は伊達ではないという事か。
神仏習合では具体的な宗派を考えてみれば分からなかったが、聖武天皇より時代が下って、天台宗あたりにもその流れがあることが分かった。既存の世俗的で荒れた仏教より、唐で学び山に籠って仏道に励むという事は、宗教問題でなやむ権力者や、救いを求める民衆からの支持を受けたのだろう。
熊野磨崖(まがい)仏もこの地域の特徴である。自分は修行は植林がメインと思いきや、この地域には山の岩肌を削って仏像を彫っているのは驚いた。大分は確かに岩肌が多くみられ、九州の山林の中でも大陸に近い雰囲気があるのは確かである。これも恐らく仏法を求める修行僧、修験者によってなされたものであろう。
大日如来が時として不動明王に姿を変えるという話にもピンとくるものがあった。管理している山林のうち釈迦岳という山がある。田川の地域で福岡と大分の県境でもある。山岳信仰や修験者が多い、英彦山に近い。この辺りのネーミングも、神仏混合の盛んな地域ならではの話だと思う。
大日如来が時として不動明王に姿を変えるという話にもピンとくるものがあった。管理している山林のうち釈迦岳という山がある。田川の地域で福岡と大分の県境でもある。山岳信仰や修験者が多い、英彦山に近い。この辺りのネーミングも、神仏混合の盛んな地域ならではの話だと思う。
時代が下ると、鎌倉仏教の禅宗の要素も取り入れながら、山岳寺院などが国東半島を中心に広がり江戸時代まで根付いていたようである。四国の八十八箇所巡りではないが、国東六郷満山霊場の三十三箇所巡りがあるらしい。自分は向かないが、これも業の一環なのだろう。帰りが遅くなり、元々予定した山林の電柱の工事の確認含め再度出直しである。次は磨崖仏辺りを見てみたいものである。