宮本常一著の「山に生きる人びと」を読んでいる。九州では平家の落人伝説があり、祖母からも小さいころそのような話を聞かされた。源平合戦に敗れて人目につかない場所に潜んで暮らしていた。社会から離れて生活するとなると自ずと山深い場所に居を求めるようになるのであろう。
ただいくら人目を忍んで住んでいるといっても必要になるものもある。日本には岩塩が取れないので、代用品がない、塩だけはやり取りをしていたようだ。話が飛ぶが、昔父が仕事でアメリカ駐在時に岩塩を見せて、実際なめさせられたことがある。石の結晶のようなもので結構抵抗があったが確かにしょっぱかった。山の民は年に数回、海辺におりて塩田を借り受け塩を作ったり、木材と交換をしたりなどで山に住む人でも必要に応じて出入りしていたようだ。木材を持って山を下りて、塩を持って帰るとなると能率的に聞こえるが、慣れているとはいえ、道なき道を荷物の移動とそれなりの期間移動していくは楽ではなかったろう。山の中では田んぼも限られていたので焼き畑メインであるが、余裕のない生活であったようだ。
時代が下って、山間部から学校に通わせるので一番大変だったのは毎日の弁当を詰める事であったようだ。4人こどもを学校に送って20年たったら随分老け込んでしまった自分に驚いた奥さんの話が出ていたが、外部と交流を限っていない山の中の生活は不便や苦労が多かったようだ。実際、明治政府に変わって交通事情(山の人は旅人の道案内の仕事もあった、宮沢賢二の注文の多い料理店の世界か)が変わると山の中の集落も栄えたり寂れたりすることもある。山の人にとっても生活は過酷で、生活が変わって後悔することは殆どなかったようだ。
スギ日本一の素材生産量が宮崎県が伸びた理由として、山への道入れの話がよく出る。10年以上前の話だが当時の東国原知事も農産物だけでなく林産物の製材品をトップセールスでよく福岡でも商談会をしていた。実際杉の生産量は伸びてきていたが、どうやらその前の知事が補助金などをしっかり入れて林道整備を進めたのが実態らしい。搬出コストに跳ね返るインフラ整備は現場から見れば当たり前だが、県を挙げてやるとなると林業が基幹産業であること、県のビジョンや木材業界も協力しないとなかなか同じことはできないのでないか。
今年から2024年問題でトラック不足の問題が出ているが、塩の道と同じように帰り荷などを用意しないと、ないない尽くしで終わってしまう。大型トラックを持つ製材所もあるが、多くは外注のトラック会社に依存している。地元にキリンビールの朝倉工場があるので南九州辺りのトラックの帰り荷などはある時もあるようだが、なかなか九州でも北から南に荷物を探すのは難しいようだ。商社もアプリ開発で往復で荷物を探すサービスを始めているようだが、余り耳にしない事も多い。福岡の名産のあまおうを今まで通り届ける試みを少し前にテレビでも見たが、いきなりいい方法があるわけでもなさそうだ。戦後から昭和40年代くらいまでは鉄道貨車で木材は運ばれたようだ。昔の国鉄が貨物より人員輸送を優先して廃れたが、延岡の港の大きな産業道路も昔は山から線路を引いていた跡という。
情報はWi-Fiがあればつながるが、道の選択肢も陸路、海路、空路も含め最適化を探す時代なのかもしれない。